7日夜に首都圏を襲った最大震度5強の地震では、大勢の通勤客らが帰途を阻まれた。2011年の東日本大震災の際にも課題となった帰宅困難者。今回の地震を機に、識者からは「改めてリスクを検討すべきだ」との指摘も出ている。
地震が発生した7日午後10時41分以降、首都圏のJR、地下鉄など各線で一時運行がストップし、大勢の帰宅困難者が出た。JR品川駅では地震の影響で停電が発生し、8日午前0時半ごろに復旧するまで、真っ暗の改札前は大勢の利用客であふれた。
地震で電車内に閉じ込められる乗客もいた。埼玉県八潮市の女性会社員(29)はJR高崎線の列車に乗車中に地震に遭遇。列車は浦和と赤羽駅の間で安全確認のため停車した。約1時間10分後の午前0時前に運転を再開したが、最寄り駅までたどり着けないと考え、赤羽駅近くのビジネスホテルに宿泊した。女性は「帰れるか悩むよりホテルを選んだ。また地震が起きて電車に閉じ込められるのも怖かった」と振り返った。
東京都八王子市の男性会社員(22)は仕事を切り上げて新宿区の高田馬場駅に向かった。だがJR山手線と西武新宿線は運転を見合わせており、近くの友人に連絡して泊めてもらった。東日本大震災でも帰宅困難となり、母親の迎えを待ったという男性は「揺れがどこまで強くなるのか、恐怖を感じた」と話した。
運行再開を待つ乗客が相次いだ事態に、東京メトロ東西線や小田急、京王は8日午前2時台、西武は同3時台、東武は同4時台まで一部の列車を運行させた。JRなどは帰宅困難者向けに列車を待機場所として提供。JR東京駅では新幹線2編成が午前3〜5時に開放され、89人が利用した。東京メトロの綾瀬駅でも待機場所に車両を開放した。
こうした中、東京都は7日夜、帰宅困難者の発生を予測してターミナル駅がある千代田や新宿など7区に状況の確認を要請。北千住駅と品川駅で多数の帰宅困難者が発生しており、足立区と港区に一時滞在施設の開設を求めた。足立区は千寿本町小学校体育館を開放し、約50人が夜を明かした。港区は公共施設「港南いきいきプラザゆとりーむ」を開放し、7人が利用した。荒川区は自主的に日暮里駅近くの「日暮里サニーホール」を開放した。
都はタクシー会社に駅前への配車を働きかけるよう各区に依頼し、帰宅困難者の解消を図った。
横浜市と川崎市も一時滞在施設を開設した。横浜市は8日午前2時に横浜駅近くの市民防災センター(神奈川区)と菊名駅近くの菊名地区センター(港北区)に設けた。それぞれ最大で8人と25人が利用したという。川崎市は同日午前4時20分、協定を結んでいる川崎日航ホテル(川崎区)の宴会場を開放した。
災害時の帰宅について、小池百合子都知事は8日の定例記者会見で「無理に帰ると交通機関も止まる可能性もあり、職場に戻るというのも一つの案だ。さまざまな施設を活用することで、都民の安全と安心の確保につながる」と述べた。
交通の混乱は8日午前も続いた。JR東日本によると、武蔵野線の北朝霞駅、京浜東北線の川口駅や蒲田駅などで構内の混雑を避けるため入場規制をした。電車を待つ通勤客らが駅の外まで長い列を作った。
帰宅困難者の続出について、東京大大学院の広井悠教授(都市防災学)は「大都市のもろさが出た」と指摘した。一方で、帰宅困難者向けの一時滞在場所の提供といった対応については評価した上で「今回のような地震や、より大きな地震の場合には、自宅に帰らないという選択肢は必要。非常時に社内で滞留できる環境の整備なども必要になってくる。リスクを再検討すべきだ」と語った。【島袋太輔、秋丸生帆、中村紬葵、竹内麻子】
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